院長紹介
院長紹介
こんにちは。
唐仁原治療院 院長の唐仁原宏幸(とうじんばらひろゆき)です。
昭和47年に埼玉県で生まれ育ちました。趣味は国内外問わずその土地の名物を食べる旅行と、どれだけ練習しても一向に上達しないゴルフです。
「手に職を付けて技術を生かした仕事をしたい」という職人系に興味を抱き親の勧めもあり治療師を目指しました。22才のときに国家資格を取得し28歳でさいたま市大宮区に『唐仁原治療院』を開業しました。
13歳で診断された腰椎椎間板ヘルニア
治療師になりたいと思ったきっかけは以前からありました。
中学校1年生のときに腰の痛みで診てもらった整形外科で「腰椎椎間板ヘルニア」と診断されたのです。僕も皆さんと同じ腰痛持ちのヘルニア患者だったんです、しかも中学1年で。
当時そんな説明をされてもピンときませんでしたが、13歳で体験する痛みではなかったと記憶しています。
整形外科・接骨院・鍼灸院・治療院・整体院と何件もはしごしたときに感じたことは「どこかにすぐ治してくれる先生はいないのかな」でした。
外国で治療の仕事が出来たら楽しそうだなぁ
指圧の専門学校に入学当初、私は海外で治療をしてみたいという思いを持っていました。
外国人からみたら、指圧は「東洋の神秘」ぽく見える気がしたんですよね。海外から入ってきたマッサージやカイロプラクティックとは違う「指圧のこころ母心」のあれです。
3年生になって国家試験の勉強や進路のことも考えるようになった頃、学校の先生から外国のある国で働いてみないか?とお誘いを受けました。
元々「海外で治療をしてみたい」から始まった学生生活でしたから快諾するつもりだったんですが、あることに気が付きました。
サッカーならヨーロッパ、野球ならアメリカ、パティシエならパリのような本場ってあるじゃないですか?
治療に置き換えるなら「治療の本場って日本じゃないの?」です。
ちょうど同じ時期に別の治療院からも誘いを受けていたので方向転換しました。
7年間の修行時代
学校の同級生の紹介でその父親の経営する治療院にお世話になることにしました。
前から別の友人に「しゅぎけんとかいう変わった治療法を使って1日に50人くらい治療しているらしいよ」と聞いていたので興味はあったんです。
学校の指圧の授業では治療のテクニックというよりも、基本に忠実に押すという感じだったと思います。これからその指圧の延長でやっていくのと治療の技術を身につけてやっていくのでは「治療師になりたい」と思ってこの道に進んだのにすごい差がでてしまうと感じましたので技術を修得するための修行としてお世話になることにしました。
その治療院は畳の治療室が2つだけなのですが、1時間に5~6人の患者さんをその2箇所で治療しているのです。それが朝の8時から夜の10時くらいまで続くのですからすごいですよね。
先生は定期的に仕事が終わった10時頃から勉強会という形で新しい技術を教えてくださり、それを修得して治療に生かすために練習を続けていく毎日で、7年間みっちり勉強させてもらいました。
唐仁原治療院開業
修行をおえて開業へとつながって行く事になるわけですが、ここで開業前の数ヶ月間の空白が私の経験値を上げてくれることになりました。(さらに長くなりますのでここでは省略させていただきます)
2001年3月に開業
自宅の庭をつぶして治療院を建てさせてもらいました。本当なら駅に近い場所でテナントを借りて開業するつもりでいたのですが「社会的に信用を得るなら建てたほうがいいよ」と信頼している方からのアドバイスを受けて駅近でもない場所でのスタートです。
開業前にチラシを1000枚配っただけでしたが、ありがたいことに予約の電話を入れてくださる患者さんが数名おられまして、そこから口コミで広がり1年目2年目3年目と新規の患者さんも倍々で上がっていった時には「これをずっと続けていけばいいんだな」と自信を持つようになりました。
その反面患者さんが増えると、なかなか良くならない方もちらほらと出てくるようになりました。時間をかけてじっくり施術してもそのときは楽になるけど次回来院されたときにはもう戻っているの繰り返しです。
患者さんに申し訳ない気持ちがありましたからもっと時間をかけて施術をする。(ダメなパターンに陥りました)
手技治療専門の唐仁原治療院
再度勉強の始まりです。先輩に現在の状況を相談したら「手技の講習会に参加してみる?」と誘っていただけたのです。本当に願ったり叶ったりでした。
私が浮かれてしまう理由はですね、この講習会で教えていただける技がすべての「治療系整体」のはじまりの技だからなんですね。
私が7年間治療院で修行していたときに教わった技もこの講習会から先生が何十年も前に教わったものでした。(実際に講習会で教わった技とはちょっと違う形になっていましたけど)
講習会に初めて参加した日に講師の先生が仰られた一言は忘れられません。
『○○だけでやってください』
焦りました、学生時代の3年、修行時代の7年、開業後それなりの実績を残してきた3年の計13年間続けてきたことを捨てちゃうわけですから。
「か、患者さん来なくなっちゃうよ・・・(汗)」正直な気持ちです。
それを実行するのにものすごい覚悟が必要でした。
結果、患者さん来なくなりました・・・(3割ほど)
その数ヵ月後患者さん増えました・・・(4割ほど)
患者さんが入れ替わりました。(それまでは、「変わった整体を使う腕のいいマッサージやさん」として認知されていたのが、「ただ腕を回しているだけなのに不思議と良くなる治療院があるよ」に変わったのです)
ようやく、手技治療専門の唐仁原治療院の誕生です。